幕末の勉強部屋

淀屋橋にある適塾を訪ねました。

大阪に来た目的は娘の習い事の発表会で、出発時には適塾など頭に全くありませんでした。そういえば緒方洪庵の適塾は大阪にあったはずだな、と電車内で思いついて調べると今でも保存されていて見学できると分かりました。しかも発表会がある大阪市中央公会堂のすぐ近くではないですか。

適塾で学んだ福沢諭吉が「福翁自伝」にそこでの生活のことを詳しく書いています。福沢が「これ以上しようがないほど勉強した」と回想しているように、幕末には外国の新しい知識を身につけようと爆発的なエネルギーで勉強した人々が沢山いたわけですが、その環境を見てみたいと思っていたのでした。

建物は奥に長い町屋です。中は暑いからと言って受付の方が団扇を貸してくれました。確かに暑い!団扇があって本当に助かりました。塾生がいた時代は現代よりは涼しかったはずですが、「福翁自伝」によると夏はみんな裸で過ごしていたらしいですね。

特に見たかった塾生大部屋です。寝起きと勉強スペース全て込みで一人一畳だそう。福沢諭吉は一時期、横になって寝ることがほぼなく、勉強しながら突っ伏して寝るというスタイルでした。

2階の塾生大部屋。寝起きと勉強スペース全て込みで一人一畳。中央の柱には羽目を外した塾生による刀傷が多数あります。みんな結構乱暴だったということです。
オランダ語-日本語辞書「ヅーフ」を閲覧する部屋。ヅーフ辞書は1冊しかなく、部屋から持ち出し禁止なので夜通し奪い合いだったようです。

建物はいたって地味ですが、当時の熱気を想像してエネルギーをもらうことができました。

福沢諭吉の「文明論之概略」は私が読んで最も驚いた本の一つです。歴史・社会から科学技術まで、あの時代に限られた情報から学んでここまで自分のものにしているということに。それを可能にしたのはここでの凄まじい勉強量だったのでしょう。今のように大量の情報が容易に得られることは、本質を捉えることにはそれほど関係がないのかもしれません。